知覧特攻平和会館へ行った!改めて平和のありがたさを痛感!

おはようございます。

7月4日。木曜日。

先日仕事で鹿児島に行きました。

少し時間があったので10年ぶりくらいに「知覧特攻平和会館」へ行ってきました。

どうしても行きたかったところでした。

🌟「戦争の悲惨さ」「命の尊さ」「平和の大切さ」

今回で3回目の訪問となります。

何回来てもいろいろ考えさせられます。

いわゆる「特攻隊」です。

爆弾を積んだ飛行機ごと敵艦に体当たりする・・・これまで考えられなかった戦法なんです。

というより、異常な作戦。

人間が考える作戦ではありませんが、時代がそうさせたのでしょう・・・

お題で書いているように、「戦争の悲惨さ」「命の尊さ」「平和の大切さ」をドーンと訴えるものでした。

今の自分が甘いな・・・とも思いましたね。

なにを書いても「軽く」しか受け取られない・・・

それだけ、亡くなった方のことを考えると・・・

今の自分は甘いなと・・・そこに行きつきます。

とにかく、戦争は行けません。誰も幸せになりませんからね。

🌟17歳~31歳の方々が犠牲に!平均年齢21歳!

特攻隊の最年少は17歳。

最高齢の方でも31歳。

平均年齢は21歳。21歳というと大学生ですよ。青春を謳歌している年齢です。

爆弾250㎏を装着して、片道だけの燃料で出撃・・・

「絶対死ぬ」という出発です。

後半の特攻隊は操縦に慣れない方が多く、フラフラしながら飛び立っていったそうです。

今の時代では考えられません。

「明日自分は死ぬ」という心境はどんなものだろうか・・・

🌟家族・想い人への手紙・・・

昔の人は達筆です。

20歳前後でこれだけの文章を書くのか・・・そのような手紙がたくさん展示されています。

母親をはじめ家族への手紙。

想い人への手紙。

涙なしでは読めません。

特に、想い人へ書いた手紙では、「自分は国のために死ぬ。あなたはわたしのことは忘れて自分の幸せを求めてください。わたしはそれを祈っています」

この文章は・・・ちょっと・・・涙腺が・・・

そして、「特攻の母」と呼ばれた「鳥濱トメさん」に関する碑が立っている。

(故・石原慎太郎さんの誌です)

戦争に翻弄された時代の方々。

亡くなった特攻隊員も残された方も不幸というか・・・こういう時代でなかったら・・・

そう思わずにいられません。

🌟が非でも「九段」に行かねば!

わたしの母方の祖父もフィリピン沖で戦死しています。

船が撃沈されたと聞いています。

わたしの母親も父(祖父)の顔知りませんからね・・・

ある意味戦争の犠牲者ですよね。

祖父もどのような気持ちで死んでいったのか・・・

戦地から出した手紙が今でも伯母のところに残っています。

メモ魔だったようで、メモ帳も残っています。

「九段」に行かないと行けません!

あっ・・・「九段」とは「靖国神社」です。

わたしのようなものが参拝しても政治問題になりませんからね。

いろいろ考えされられた知覧でした。

本も出ていますが。「人生に迷ったら知覧に行け」と・・・

確かにそうですね。

熊本からは近いですし、福岡県の太刀洗町にも似たような施設があります。

このような方々の犠牲のもとに平和があるんですよね。

肝に銘じて生活していかないと・・・犠牲になられた方々も浮かばれません。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

一日頑張りましょう!