おはようございます。
2月8日。火曜日。
2月は28日しかないので、あっという間でしょうね。
立春を過ぎたとはいえ、まだまだ寒いですね。
でも、ちょっとだけ「春」を感じることもあります。はやく「春よ来い!」
さて、毎年この日は「母の誕生日」ということで、そのことを書いています。
🌟1944年(昭和19年)生まれなので78歳!
第二次世界大戦の終戦が1945年(昭和20年)です。
その前年に生まれているんですね・・・
宮崎市で生まれています。
ちなみに父親も宮崎ですので、わたしが宮崎が好きなのがわかりますよね!
母の成長というか生きている歴史が日本の終戦後の歩みと言ってもいいくらいですね。
今日で78歳になります。
今年の正月に妹夫婦も集まって父の傘寿・母の喜寿を一年遅れでしたがささやかに開催できました。
こういう節目というのは大切ですからね。
🌟仕事もやりぬいた!
母の兄・姉とも高校に行っていません。看護学校等らしいですね。
でも、母はいちばん下の子ということもあり、親戚からの援助を受けながら高校に通い卒業して就職しています。
ありがたいことですね。
その親切にしっかり応えて、仕事を務めあげました!
わたしも妹も小さい頃は保育園に預けられ、いつも迎えはいちばん最後。
友達が帰って行く中で、最後まで残っているのは幼いながらも寂しさを感じていましたね。
昭和の40年代・50年代ですから、まだまだ女性の社会進出が珍しい時代でしたが、フルタイムでしっかり仕事していましたね。
平成に入ってからは、人の上に立つ立場でも仕事をしていました。
そして退職・・・
尊敬しますね・・・
わたしが高校野球に没頭しているときは、毎朝弁当つくってくれていましたし、毎日夜汚れたユニフォームを洗濯してくれました。
わたしも野球終わってはやく戻ればいいものを仲間と学校前のお店で「くっちゃべって」いました。!(^^)!
それがなければ1時間ははやく帰れていましたね。今思えば反省・・・
🌟父の顔を知らない・・・というのは悲劇・・・
母は父(わたしの祖父)の顔を知らないんですよね・・・
父が戦死しているので・・・
これって本当に戦争の悲劇ですね・・・
昨年12月に宮崎で青島太平洋マラソンがありました。
その前日に伯母の家(母の姉)に寄って晩御飯をごちそうになりました。
そのとき、伯母から祖父(母の父)が戦争に召集されたときからの手帳を見せてもらいました。
筆跡はなんとなく母の筆跡に似ていました。親子なんですね!
そこには、家族を案じることが書かれていました。
涙でますよね・・・
昔の人の文章ですので、解読が不明な部分が所々ありますが、なんとなく文章の流れからわかるところもあります。
31歳で戦死した祖父も無念だったろうな・・・
今度宮崎行ったときに借りてゆっくり読んでみたい・・・そう思います。
☝このイラストはわたしの祖母が「裁縫」のプロでしたからね。思い出します。
🌟長生きしてください!
人の命ですので、いずれそういう時期は来ますが、まだまだ元気に過ごして長生きしてほしいですね。
いちばん下の孫も高校2年生。一生懸命野球しています。我が一族の甲子園の夢はその子に託されています。
その子が成人して結婚するまでをまずは目標に・・・
そして、コロナが落ち着いたら宮崎に父と母を宮崎に連れて行きたいですね。もちろんわたしが運転します。
片道約4時間かかりますからね・・・(遠い)
父方・母方の墓参りにも行かないといけませんし、親戚との交流も必要。
こういうのって、きっかけというか動機というか・・・そういうのって必要ですよね!
まあ、なにはともあれ元気に78歳を迎えることができたことは息子として喜ばしいことです。
まだまだ長生きしてください。
今日も読んでいただきありがとうございました。
一日頑張りましょう!