おはようございます。
1月17日。月曜日。一週間が始まります。
今日は「阪神淡路大震災」が発生した日になります。
1995年(平成7年)の1月17日午前5時46分52秒と言われています。
あのときの「衝撃」は今でも鮮明に覚えています。ちなみに震度7。でした。
熊本地震も震度7ですので、そのすごさというか衝撃度合いがわかります。
今日は、そういうところを書いていきます。
実は、この日(1月17日)は毎年この記事を書いているような気がします。
それだけ「忘れられない日」なんでしょうね。
🌟当日のわたしはなにをしていたか・・・
当時のわたしは26歳でホテルに勤務していました。
確か「早番」(9時出社)でした。
なので、朝6時頃には起きて準備していました。
その際、テレビの映像が変わったり速報が入って「神戸で大地震が起きた」という認識でした。
そのときの映像で街から火が出ているところを観て、「ちょっとただごとではない」と思いましたね。
その後出社してからも社内はその話題でもちきり。
今みたいにネットで即情報が入るわけでもありませんので・・・
朝の段階では「死者1名」でしたが、これがどんどん増えていきました。
🌟この世のものとは思えない惨状が・・・
衝撃的だったのは、阪神高速道路が傾いて倒れているシーンですね・・・
バスが落下せずに先っぽだけ残っていたシーンもありました・・・
火事がどんどん広がっていくところも・・・
熊本にいると、当然ですが何もできません・・・
募金したくらいですね。
🌟ボランティア元年とも言われている!
この地震のときに「ボランティア」という言葉が一般的になってきました。
もちろん「言葉」自体はあったのですが、災害時に「ボランティア」が活躍するのはこの地震からですね。
東日本大震災のときも熊本地震のときもボランティアに行けなかった自分が情けない・・・
🌟「被災者」・・・いつしか自分も・・・
「被災者」という言葉も一般的になってきました。
当時は「たいへんだな・・・」「なにかできないかな・・・」と思うだけでした。正直なところ。
ボランティアで現地にも行けてません。
その後、「東日本大震災」がありました。「熊本地震」もありました。
「熊本地震」では、わたしも「被災者」のひとりになりました・・・
そのときに「阪神淡路大震災」や「東日本大震災」で被災されたかたの気持ちがわかりましたね・・・
言いようもない「不安」、この先どうなるのだろうという「不安」、このまま熊本は滅びるのではないかという「不安」いろんな「不安」が頭の中をよぎりました。
「希望」なんてみえてこなかったですよね!
幸い、我が家は「停電」「断水」程度でした・・・
でも「電気」「水道」といった「ライフライン」の重要性は身に染みて痛感しました。
いつも当たり前のように使っていましたが、当たり前ではないのですよね。
🌟復興した神戸は・・・
一昨年までは出張でよく神戸にも行っていました。
そのときに復興した神戸を観て感動した記憶があります。
☟神戸市役所展望所からの眺め。
もう震災の痕は観られません。素晴らしい景色です。
神戸は「海」「山」「街」「文化」と揃っていますからね。
好きな街のひとつです。
ハード面は完全復興ですね。
しかし、被災者の方々はまだまだ引きずっている部分があるといいます。
やはり肉親を亡くされたかたにとっては永遠に思っていくことでしょう・・・
とはいえ、復興した「人間力」や「技術力」といったところは「日本人さすが!」と言ってもいいでしょうね。
3月には東日本大震災の日が来ます。
4月には熊本地震の日が来ます。
常に「災害」というものを考えておきたいものです。
今日も読んでいただきありがとうございました。
一日頑張りましょう!