おはようございます。
11月5日。週末になりますね。
金曜日は、「平日」と「週末」が同居するといいます。
なんとなくわかるような気がします。
実は今の時期「読書週間」というのを知っていましたか?
10月27日から11月9日までの2週間です。
わたしも初めて知りました。
ここ3ヶ月くらい「歴史もの」の「小説」に「再度」ハマっています。
なんとなく「スイッチが入った」という感じですね。
今日は、先日読んだ「楠木正成」について書いていきます。
🌟楠木正成とは?
楠木正成=くすのきまさしげ、と読みます。
活躍したのは鎌倉時代の後半から南北朝時代・室町時代の前半です。西暦でいうと1300年代前半。
武将というか悪党というか・・・そのあたりは評価がわかれます。
悪党という面では、豪族とも似ています。ちなみに現代の悪党とは趣が違います。
よその地方で米や金目になるものを奪っていくのです。
領地は河内地方です。大阪の河内地方。あの「河内節」ですね。
なかなか「河内地方」といってもピンとこないかもしれませんが、大阪府の東・南あたりですね。
なので、奈良県や和歌山県と隣接するあたりといったほうがイメージ湧きやすいかもしれません。
🌟後醍醐天皇、その皇子・大塔宮に奉ずる!鎌倉幕府を翻弄!
基本的には「野心」というのは持っていないと言われています。
自分の領地を発展させて、領民を守るということだけに専念していたようです。
しかし、その領地を治める手腕と策士的な考えが後醍醐天皇の耳に入り、後醍醐天皇から鎌倉幕府を倒すことに協力を求められます。
求められるといっても、相手は天皇=帝(みかど)ですから、奉ずる形になります。
また、後醍醐天皇の息子である皇子・大塔宮(おおとうのみや)と連携して、鎌倉幕府&六波羅をかく乱していきます。
この大塔宮が天皇の血を持っていながら武将のような感じなんですよね・・・
そして、その勢いを倒すために鎌倉幕府が楠木正成打倒に挙兵します。兵は数万・・・
楠木正成の軍は500人です。圧倒的に鎌倉幕府軍が優位なのです。
そこで、楠木正成が策士というところを見せつける戦いが始まるのです。
この戦いは「千早の戦い」とも言われ、「私本太平記」にも詳しく書かれていました。
要は、楠木軍は「高台」の城に籠ります。いわゆる「籠城戦」とうやつですね。
城といっても熊本城のような城ではありませんよ。強力な砦程度のものです。
高台というのがミソで、地形をうまくつかい、「石」「岩」「倒木」を武器として相手を上がってこらせません。
もちろん、米は一年分用意しています。
水も陣地内に井戸を掘っています。
そして、3ヶ月の籠城戦に耐え抜きます。
簡単にいうと、楠木正成が籠城戦しているときに足利尊氏が六波羅(鎌倉幕府の京都の要)を破ります。
ここから鎌倉幕府・北条執権が崩れていきます。
なので、足利尊氏は楠木正成と組みたかったようです。結果的には組まずに最後は対峙して足利尊氏に討たれてしまいます。また討たれかたもかっこいい!
🌟実は経営者?
支配する河内を繁栄させます。
物流にも先見の明を持たれていて「陸路」だけでなく「海路」(川・海)も支配するので、それを利用するかたから利用料をとり潤います。
なので戦う必要はないのですが、時代ですよね・・・そういう時代だったのです。
時代が楠木正成を必要としていたのでしょう・・・
🌟今読んでいるのは楠木正成とともに戦った「赤松円心」
「楠木正成」を読み終え、今は「赤松円心」を読んでいます。
読み終えたらまたブログに書きますが、楠木正成と同じ悪党です。
播磨地方ですから兵庫県ですね。そこを領地としています。
楽しんで読んでいますよ。
今日も読んでいただきありがとうございました。
一日頑張りましょう!