我が家の近くに「防空壕」の痕があります。
いきなりこういう話題で恐縮ですが、なんとなく気になっている「防空壕」なんです。
山道なんですが、今はいろいろ埋めて?ありますが、それだったことは窺えます。
山道といっても舗装されていますし、小学校の通学路にもなっている生活道路です。
今住んでいる地区に小学校6年生の頃引っ越してきたので、その防空壕は小学6年の頃に気づきました。
(校区内での引っ越しだったので転校はしていません)
🌟どのようなものだったのか?
豪華な?というとちょっと違うかもしれませんが、鉄筋コンクリートの防空壕もあるようです。
こういうのは軍首脳等専用だったのでしょうね。
しかし、この手の防空壕・・・ ☟ 穴が開いているところが確認できますよね。
こちらは地域住民が避難するところです。
ちなみに、この防空壕と並んであと2個あります。
この防空壕に気づいて約40年。わたしが気づいたときと変わらない形です。
誰もある意味近づかないでしょうからね。
今年が戦後76年と言われていますので、76年前にここに避難して難を逃れたかたも多かったのでしょうね。
戦後生まれのわたしのイメージでは、空襲警報が鳴って防空壕に避難する・・・
言葉にすればたったこれだけですが、当時のかたは苦しかったでしょうね・・・
そして、防空壕の中では身を寄せ合って息をひそめて空襲が落ち着くのを待っていたのでしょうね。
イメージできそうでイメージできません・・・
やはりこういうのは体験した人でないと、こういう文章を書いても真実味がありません。
🌟地域で残すことも重要!
ここ最近の異常気象に伴い、土砂崩れを未然に防いでコンクリート化することもあります。
このような防空壕があるところもそういう対象になるかもしれません。
せめて1ヶ所でも後世に残してほしいですね。
そのあたりはなんとか自治体のほうで対応してもらいたいものです。
🌟掘って生活する!
まず「掘ること」もたいへんですよね。
76年前の技術です。
そうとう手作業だったのでしょうが、ネットで調べるとそれなりに掘ってあります。
さらに、そこで最低限の生活ができるくらいの空間やモノがあったようです。
ランプがある画像もあれば、蝋燭で灯りを確保している画像もネットで閲覧することもできます。
「将来がどうこう」というより、「今その日」をどう生きる・・・ということだけだったのかも。
また、避難しながらも戦地に赴いた家族のことを心配していたのでしょうね。
平和の時代に生きているわたしなんか想像もできないくらいの「防空壕の時間」だったのでしょう。
🌟今の時代は「シェルター」として形を変えている!
今の時代にも防空壕というか形を変えて「シェルター」としていろいろ利用されているようです。
「地下シェルター」だったり「地震シェルター」というのもあります。
戦争対応の防空壕から進化?して今でも活躍?しているのですね。
ネットで調べてみるとなかなか興味があります。
🌟前を通るたびに戦争を考えさせられる!
毎日朝ランしています。朝ランしない日でも日中に走っています。
朝ランのコースはいくつかありますが、その中のひとつに防空壕の前を通るコースがあります。
防空壕の前で特段立ち止まることはありませんが、前を通るたびに「戦争は悲惨だったんだな・・・」と思いながら走っています。
わたしの祖父も戦死しています。コロナが落ち着いたら東京に行き靖国神社に参拝します。
母はその戦死した父(わたしの祖父)の顔を知りません。
戦争の悲劇ですよね。
やっぱり戦争はいけませんよ。理屈抜きです。
昭和初期の世界の流れがそうだったのでしょうが、どうにもならず戦争への道を突き進んでいったのでしょうね。
今は小学校でそういうことを教えているのかな?
読んでいただきありがとうございます。