以前、熊本市北区四方寄(よもぎ)にある、「御馬下の角小屋」(みまげのかどごや)へ行ったことをブログで書きました。
そのときのブログがこちら。
この家の所有者こそ、今回読ませてもらった堀内豊秋氏(堀内家)の庄屋なのです。
そういうところから興味を持って読みました。
⭐️そもそも堀内豊秋氏とは・・・
まず、堀内豊秋氏のことを少しお話しします。
わたしも正直知りませんでした。
書いたブログの「御馬下の角小屋」を見たときに、堀内豊秋氏の存在を知りました。
熊本市北区四方寄生まれになります。
地元の学校を出られて名門済々黌高校から海軍学校へ進まれます。
海軍では、大きな功績として以下のことが挙げられます。
・海軍体操の創案者
・日本初の落下傘部隊隊長
・戦争にて海外現地(インドネシア:メナド)の指揮管理
不幸にも日本の敗戦にてB級戦犯として裁かれ銃殺刑となりました。(これには諸々意見がある)
ものすごく立派な方で、海外の現地の方からも非常に慕われ、インドネシアの方が親日というのも堀内豊秋氏が統治していたころに日本がインドネシアに非常に良くしたことが原因と言われています。
日本・インドネシアの友好に大きな功績をつくられた方です。
⭐️Amazonで本を探す!
「御馬下の角小屋」を見たときに、このひとの本を読みたいと思いました。
さっそく検索してみるとAmazonで見つかりました!
ポチって購入。
この本のサブタイトルにあるように、戦争裁判で汚名をきせられて処刑されています。
悔しかっただろうと思います。
⭐️理不尽な戦争裁判・・・
わたしの母方の祖父も戦争で命を落としています。
軍人ではありません。税務署職員だったそうです。戦争末期に30歳を過ぎてから招集されてフィリピン沖で戦死と聞いています。
この堀内豊秋氏は軍人で、幹部クラスの方になります。
なので、戦争責任を追及されたのでしょうね。
その責任というのも、部下が統治先でオランダ人(日本がインドネシアを統治する前はオランダが統治していた)へ無礼をはたらいた、ということのようです。
堀内氏はそのような行為を全面的に禁止していましたが、末端の心無い隊員がそのようなことをしたことで全面的に責任を負ったということです。
そもそも戦争裁判というのも戦勝国の都合でされていますので、敗戦国としては辛いですよね。
でも、堀内氏が全く言い訳もせず、部下の責任は大佐としての自分にある、ということを話しているので、裁判官であるオランダ人も判決を言い渡し、刑を執行したあとに惜しい人材を無くしたと後悔したようです。
それくらいの人物だったのですね!
ご自分に誇りを持ち、家族の安否を最後まで気づかい・・・悔しかっただろうな・・・もう少し生きたかっただろうな・・・
⭐️お墓も見つけた!
たまたま通りかかったところにお墓を見つけました!
「御馬下の角小屋」から1㎞ばかり東に行ったところにあります。
お墓参りもさせていただきました。
さすがに人様のお墓を写真に撮ってアップするのははばかられましたのでここでは遠慮します。
熊本市を一望できる場所にあります。
そして、堀内氏の奥様も103歳でお亡くなりになられています。平成24年12月とありました。
長生きされたのですね。戦犯の妻としてご苦労はあったと読みました。
そして、息子さんも87歳でお亡くなりになられています。平成30年6月とありました。
つい最近ですよね。
お父様に誇りを持って生きられたのでしょうね。
堀内氏には娘さんも3~4人いらっしゃったと思います。
いちばん末娘さんはご存命なのかな?
お孫さんはひ孫さんが堀内氏の功績や思いを引き継いで生きているのでしょうね。
やっぱり戦争は行けません。全世界で戦死した方は皆英霊です。わたしもはやく靖国神社参拝に行きたいものです。