さて、今日のブログはちょっと考えがまとまらずに書いています。
おそらく書いていてもまとまらない気がするのです。
でも、書きたいテーマ?なのです。
よく「勝ち組」「負け組」という言葉があります。なにが基準なのでしょうか・・・ふっと考えました。
☆基準はなんなのでしょうか??
平成に入ってからでしょうか?このように「勝ち組」「負け組」という言葉が出てくるようになったことは。
よく「格差社会」と言われます。日本だけの問題ではないのでしょうが・・・その「格差社会」を別の角度からみた場合に「勝ち組」「負け組」となるのでしょうか?
「お金」「肩書」「住んでいるところ」「仕事」
なんなんでしょうか?
☆自分にあてはめてみると・・・
では、自分自身にあてはめてみます。
これまで正直自分自身、「勝ち組」「負け組」どちらとも思ったことありません。学生時代は部活動で勝ち負けの勝負をたくさんしてきました。人生で勝った負けたとは思っていないですね~
勝負事は勝つにこしたことはないのですが、スポーツのように、数字で結果がでると、勝った負けたというのは一目瞭然ですが、人生は数字というか得点が目に見えて見えるわけではありませんので、難しいですよね~
先ほど、「お金」「肩書」「住まい」「仕事」ということを書きました。
どうなんでしょうか?
【お金】
持っていませんね。最低限の蓄えはあります。人並に生活もできています。
お金もっているから幸せかというと・・・人それぞれですからね。
【肩書】
たいした肩書はありません。なにもなし。だからといって不幸ではありません。
【住まい】
なんとか熊本市北区に両親と2世帯住宅です。ちなみに単身赴任中。
別に豪華高層マンションでもありません。
【仕事】
日々、打ち込める仕事を与えていただいています。その中で自分を磨いているという状況でしょうか。
小さいことは多々あります。
これだけで判断はできるかどうかわかりません。
「勝ち組」? 「負け組」? どうでもいいですね。
自分では判断しません。
周囲が私のことを「勝ち組」と思えば「勝ち組」なのでしょう。
反対に、「負け組」と評価されれば「負け組」なのでしょう。
書いていて、どうでもいいように思ってきました。(*’ω’*)
要は、自分自身が世の中に流されずに「しっかり」「ぶれず」生きていけばいいのでしょうね。
戦前戦中には「贅沢は敵」という言葉があったようです。
レベルは違うかもしれませんが、今の時代もそこそこやっていけばいいことあるのかもしれません。
最後まで読んでくださった方々ありがとうございます。
冒頭に書いたように、やはりまとまりませんでした・・・