夏休みという言葉には「ワクワク感」があります。
自分なりに、自分自身が学生の頃の夏休みと親になってからの夏休みというものは違うものがあります。
私の中での夏休みは「宮崎」を抜きに語れません。
今回、夏休みの思い出を「宮崎編」と「部活動編」について書いていきます。
42日間まるまる宮崎へ~
小学校の3年・4年頃までは、夏休み(冬・春休みもそうですが)は必ずといっていいほど宮崎に行っていました。
両親の実家が宮崎市内ですので、父方の祖父母・母方の祖母が当時元気だったために「疎開」していました。
終業式が終わってそのまま熊本空港に行き、当時熊本⇔宮崎間をフライトしていたプロペラ機に乗って機上の人へ・・・
父親が終業式が終わる頃を見計らって小学校まで迎えに来ていましたからね。
そして、夏休み最終日に宮崎から帰ってきていました。
いちばん覚えているのは、8月31日の15時頃まで思いっきり宮崎で遊んで、泣く泣くJR(当時国鉄)の「急行えびの」に乗って帰ったこと。
そのくらいどっぷり宮崎にはまっていました。
特に母方の実家にはたいへんお世話になりました。
今になって思えば、受け入れてくれた祖母・伯父伯母・従姉兄にご迷惑をかけたな・・・と反省もしていますが、子どもの頃は楽しみでしたからね!
今でも宮﨑弁が抜けません~
なにせ42日間も宮崎にいるわけですので、自然に宮﨑弁になります。
熊本に戻ってきたときに、友達と話すとき友達が「??」となっていましたからね。イントネーションや単語が違うので違和感があったのでしょうね。!(^^)!
両親も宮崎出身なので、今でも自宅は熊本弁と宮崎弁が混ざっています。
仕事で宮崎の方と話すとイントネーションになつかしさや親近感を感じています。
レンタル移籍のはしりだ~
42日間もいる宮崎では、ごくごく自然に地域の子ども会の催しに参加していましたからね。従兄の友達ともよく遊んでいました。( ゚Д゚)
プールも従兄が通う小学校に行っていました。
今なら、責任問題がどうだこうだ・・・となるのでしょうが、古き良き時代です。
ラジオ体操も地元の公園でしていました。
プールもラジオ体操もしっかりスタンプ押してもらっていましたから・・・(*’ω’*)
小学校の登校日は行っていません。それだけのために宮崎から熊本に戻るのは面倒くさいから・・・
さすがに従兄が通う小学校の登校日には行っていませんが。( ^^) _U~~
そして、地域のソフトボールチームでの練習や試合は思い出があります。
今でいうレンタル移籍のようなものです。
ユニフォームもありましたからね。本格的です。
勝って喜び、負けて悔しがる・・・本気でしたね。
そして、宮崎のなつの風物詩は「大淀川花火大会」です。
今年が第69回となっています。当時毎年行っていました。
なつかしいですね。
このような思い出が詰まった宮崎は私にとって第二の故郷であり、心の故郷でもあります。