12月8日・・・
太平洋戦争が開戦になった日ですね。俗にいう「真珠湾攻撃」です。
歴史の勉強でしか知りません。
戦後70年以上経過した今、やはり戦争は利になることなんかひとつもありませんね。
☆そういう空気・世の流れ
今のご時世、世界各地でいろんな紛争があっても、なんとか武力衝突だけは避けたい・・・ということで、大きな戦争は回避されています。
ところどころでの紛争はあっていますが・・・
昭和10年代というのは、世界全体が戦争に向かって進んだ時代・世の流れだったのでしょうね。
歴史的に振り返ってみると、小学生でもわかるようなことが、あの時代はなにか洗脳されていたのかどうかわかりませんが、「戦争」ということがステータスになっていたのかもしれません。
☆誰も幸せになっていない
結果、日本は敗戦。
勝利した国々でも大きな犠牲を生んでいます。
日本に関していえば、「原爆投下」に象徴されるように、日本全国が廃土になってしまいました。
今でも、その原爆の後遺症に苦しまれている方々が多数いらっしゃる。
私の母は72歳。終戦の時期(戦争後半)に生まれています。
父親の顔を知りません。(写真はあるが)
戦争に行って戦死しているからです。
戦争後半は、税務署員であった祖父(私からすると)までも戦地へ行かされたようです。
人がいなかったのでしょうね・・・
祖母のお腹の中に赤ちゃんがいることは知っていて戦地に赴いたようです。しかし、フィリピン沖で戦死・・・
無念だったろうな~と、自分が父親になってみて改めて思います。
戦地で何を考えていたのでしょうか。家族のことしかないですよね!生きて帰って、わが子を抱きたい!その一心だったでしょう。本当にそのような気持ちだと推測できます。
なので、母は父(祖父)の顔を知りません・・・
そのようなことも、思いっきり戦争被害者です。
そのような方々が日本だけにとどまらず、世界各地にいらっしゃるでしょうね。不幸なことです。
☆だから青島太平洋マラソンは・・・
話しはガラッと変わって、11日に開催される「青島太平洋マラソン」です。
なぜにこの話題になったかというと・・・
宮崎は両親の故郷であり、祖父母が眠るお墓があります。マラソンの前日には、必ず墓前に参ります。
父方の祖父の記憶はしっかりあります。
でも、母方の祖父は、仮にマラソン走りたくても走れませんでした。子どもの運動会で走りたくても走れませんでした。
そう考えると、走れる幸せを感じ、恥ずかしい走りは宮崎の空の下では絶対にできないのです。
そう、私の中では「聖地」なのですから。
東京に行く機会もそうそうありません。
でも、行った暁には、靖国神社に祖父を参ろうと思います。
そして、青島太平洋マラソンも、しっかり恥ずかしくない走りをします。